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富田武『シベリア抑留-スターリン独裁下、「収容所群島」の実像-』 

本書は「シベリア抑留」に関する話にある飢我、極寒と言った劣悪な環境化で生き延びた体験談を集めたものではなく、なぜそのような状況となったのか?をソ連の歴史に遡って論じたものである。

ソ連では自国民を「矯正」の名で収容所に送り込み強制労働を行わせた。労働によって「真人間にする-P4-」ことが目的であったので、反革命思想の持ち主とされた人等、収容所に送り込まれた人たちは、過酷な状況に置かれることになった。第二次世界大戦になると、この矯正収容所を管轄していた内務人民委員部が矯正収容所の延長として「捕虜収容所」も管理することになった。そのため、捕虜収容所の運営は、矯正収容所と相似なものとなった。

ソ連は、第一次世界大戦後に捕虜の扱いを定めたジュネーヴ条約に批准しなった。この条約の存在はソ連にとって捕虜の扱いに対する国際社会の反発を恐れ多少のブレーキの役割にはなったもののそれ以上のものにはならなかった。

独ソ戦において、ドイツ人捕虜は「人道的賠償」の名の下、さらに、戦時中のドイツ兵の残酷な振る舞いも手伝って復讐の要素も加わり、劣悪な環境で過酷な労働を強いられた。終戦後においても荒廃したソ連経済復興の「労働力」として捕虜は長期間抑留されすぐの帰国が叶わなかった。

日本の捕虜もソ連の経済復興のために抑留された。先に運営されていたドイツ兵の収容所の規則、システムが日本人捕虜にも適用された。しかし、終戦を過ぎた1946年半ばになると米国を始めとした連合国の捕虜送還が大きく進み、米国の圧力が強まったこと、日本共産党からも要望があり-P132-、ソ連も捕虜送還再考を余儀された。

では、結果はどうだったのか?何年にも渡る抑留者が大人数いた。その理由は、戦後復興のための労働力需要を保持し続けたい国内産業及び地方の圧力-P134-があり、中央集権国家と思われるソ連も一筋縄ではなかったのだ。

つまり、国際世論動向と国内産業、地方行政局からの労働力保持への要望圧力とを天秤にかけながらソ連政府は小出しに捕虜送還を行っていた。

サハリン抑留の悲劇は、ソ連に矯正収容所が出来てから連綿と続いたスターリン独裁下の「収容所群島」の歴史の中で起きた悲劇であり、ソ連国内外数千万の人々の共通の悲劇であった。

サハリン抑留

むちゃくちゃ久しぶりの本に関する記事更新(笑)

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