思ったことを書くだけ

読んだ本の紹介、自転車練習、ドキュメンタリー視聴、映画、美術関連、時事問題・・・気になったことをメモとしてまとめていきます。

斎藤 兆史『英語襲来と日本人- 今なお続く苦悶と狂乱』 

英語襲来と日本人- 今なお続く苦悶と狂乱

日本に「英語」が入ってきてから現在に至るまでの日本人と英語の格闘の話をコンパクトにまとめ、そこに著者の英語学習(教育)に対する考えを織り交ぜた内容。

1600年4月に日本に漂着したウィリアム・アダムズに始まったのが英語と日本人との最初の接点であった。その後の江戸時代の鎖国時に許されていた数少ない異国との接点である蘭語が主流であり、日本人は英語への関心はなかった。しかし江戸末期になると、日本の港湾使用を認めさせようと迫る英国、米国などにより「国防」のために英語の必要性が高まり、幕府は通詞と呼ばれた蘭語専門の語学エリートに英語習得を命じ、は蘭語の辞書を片手に英語習得に努めた。

ところで、英語を操ることができた数少ない日本人で有名な人物としてジョン万次郎がいる。しかし、著者よると、「・・・言語の発達期を過ぎた日本語の母語話者をただ英語漬けにしただけでは、挨拶はうまくなるかもしれないが、文法的に正しく、内容的に高度な文章を操る英語使いにはならないということである-P43-」と残された万次郎が書いた英文を見て評している。一方で、蘭通司の英語は見事なもので、伝統的な徹底した文法訓練と、素読を通じて得た英語力は今のように英語情報が少なく、教材もまともなものもほとんどない中で驚異的でとも言えるだろう。

明治初期のエリートは、教育も英語で受ける必要があったこと、日英対照の語学教材が充実してきたこともあり、さらに高度に英語を操ることができた。しかし、日本人に教育を十分行うことができる人材が揃うようになってくるに従い、高等教育を受ける受ける為の道具としての英語も不要になっていった。その辺りから、「文明開化」も手伝って庶民を巻き込んだ英語混乱が始まるのである。「とにかく英語をやらないと時代に取り残されるという焦燥感が一般大衆に広まる-P117-」のである。今と大差はない。こんな日本人と英語の戦いの歴史を見ていくと英語教育の参考になるのではないか?

いろいろ語学習得法に関して外国から輸入するのも良いが、日本人の英語習得を困難にさせる主要因と言って良いことは、日本語と英語との言語構造上の差異である。これを無視しし、あれやこれやと述べてもほとんど役には立たない。日本語と英語の距離感を踏まえた上で最善の学習を考える必要がある。

しかし、実はそれは明治以前にすでに確立されている。通詞達が行ってきた素読、句読、訳読など、文法を重視した方法である。

【雑感】
ちと、まとまりのない文になってしまった。。。
 やっぱりと言う印象。基礎を徹底に。そして口に刷り込むまで素読するしか道無ってこと。
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3/19 練習 170キロ 

3/19

事故以来100キロ大幅越えの練習。小田原方面まで行って戻ってくる。

どれくらい体力が戻ってるか確かめるにはちょうど良い平坦基調のコース。小田原まで淡々と進み思っていたより体力は回復してくていると実感。安堵の気持ち。

帰りのベースアップはAさん、Yさんから千切れてしまったが、冬場ずっと走ってきたのだからそりゃ敵わないとあまりショックもない。それなりに手応えがあって終えることができた。

あと、これくらいの距離を2,3回やれば自信がつきそう。

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3/18 国立科学博物館 

3/18

前回ほとんど回ることができなかった国立科学博物館の恐竜コーナーへ。

まずは昼食。上野公園内のカフェ?へ。良心的な値段。
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さて恐竜コーナーへ。
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自分が小さいときはここまで標本があったかな。凄いな。
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メジャーどころの恐竜は名前も憶えている。

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ちびっ子は興味深々のようである。

大人も面白いところがいっぱい。でも、疲れてしまうので、ほどほどに。

博物館を出たところにソフトクリームが売っていたので食べる。外でも食べても気持ち良い気温になってきた。早く暖かくなれ!!
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category: ちびっ子

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富田武『シベリア抑留-スターリン独裁下、「収容所群島」の実像-』 

本書は「シベリア抑留」に関する話にある飢我、極寒と言った劣悪な環境化で生き延びた体験談を集めたものではなく、なぜそのような状況となったのか?をソ連の歴史に遡って論じたものである。

ソ連では自国民を「矯正」の名で収容所に送り込み強制労働を行わせた。労働によって「真人間にする-P4-」ことが目的であったので、反革命思想の持ち主とされた人等、収容所に送り込まれた人たちは、過酷な状況に置かれることになった。第二次世界大戦になると、この矯正収容所を管轄していた内務人民委員部が矯正収容所の延長として「捕虜収容所」も管理することになった。そのため、捕虜収容所の運営は、矯正収容所と相似なものとなった。

ソ連は、第一次世界大戦後に捕虜の扱いを定めたジュネーヴ条約に批准しなった。この条約の存在はソ連にとって捕虜の扱いに対する国際社会の反発を恐れ多少のブレーキの役割にはなったもののそれ以上のものにはならなかった。

独ソ戦において、ドイツ人捕虜は「人道的賠償」の名の下、さらに、戦時中のドイツ兵の残酷な振る舞いも手伝って復讐の要素も加わり、劣悪な環境で過酷な労働を強いられた。終戦後においても荒廃したソ連経済復興の「労働力」として捕虜は長期間抑留されすぐの帰国が叶わなかった。

日本の捕虜もソ連の経済復興のために抑留された。先に運営されていたドイツ兵の収容所の規則、システムが日本人捕虜にも適用された。しかし、終戦を過ぎた1946年半ばになると米国を始めとした連合国の捕虜送還が大きく進み、米国の圧力が強まったこと、日本共産党からも要望があり-P132-、ソ連も捕虜送還再考を余儀された。

では、結果はどうだったのか?何年にも渡る抑留者が大人数いた。その理由は、戦後復興のための労働力需要を保持し続けたい国内産業及び地方の圧力-P134-があり、中央集権国家と思われるソ連も一筋縄ではなかったのだ。

つまり、国際世論動向と国内産業、地方行政局からの労働力保持への要望圧力とを天秤にかけながらソ連政府は小出しに捕虜送還を行っていた。

サハリン抑留の悲劇は、ソ連に矯正収容所が出来てから連綿と続いたスターリン独裁下の「収容所群島」の歴史の中で起きた悲劇であり、ソ連国内外数千万の人々の共通の悲劇であった。

サハリン抑留

むちゃくちゃ久しぶりの本に関する記事更新(笑)

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3/12練習 

3/12

事故に会って以来まともな距離を走ってなかったので、体力の現状確認をする目的で100キロ程度走ることにする。小山田周回を4周。暑い盛りのときとタイムを比較してもしょうがないのだが、体力の状況は把握するには一番良いコース。

朝6時出発。非常に寒い。今年はなかなか暖かくならない。いつもなら、この時期だと指無グローブで出かけると暑くて素手で帰ってくることが多い。

で、小山田周回。メモリアルパーク坂、日大三校坂、そして病院坂。どれもこれも体に応える。高強度への耐性がぜんぜん話にならない。2周、3周とするにつれ、どんどん一周のタイムが落ちる。4周止めようかと思ったが、止めたら自分の負けになるので、へろへろでも回ることにする。メモリアルパーク坂では右足がピクピクした。落ちたな~。

地道にコツコツ戻すしかない。

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おっと!10円高くなってペットボトルになっている!!

95キロ

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